東京大学精神科児童部デイケア研修医時代(1966〜)
私は1960年代の中頃から自閉症の人に出会い始めました。私が大学に行きましたのは遅く、30歳を過ぎてからです。新潟大学の医学部を卒業して、東京大学の精神科で研修医としてトレーニングを受けました。
当時、東京大学の精神科には、児童部デイケアというものがありました。就学前の児童が対象でしたが、実は学齢になったお子さんがたくさんいらっしゃいました。と申しますのは、当時は、就学猶予・就学免除という制度が残っていたからです。当時は、自閉症のお子さんは、御両親が非常に強い御意志を示されて、そして周囲のバックアップがあって、普通学級にお入りになるという方がごく一部いらっしゃっただけでした。今思うと、かなり高機能の方です。あとの方は殆どが就学猶予でした。そして児童学園というところ、または、このデイケアのようなところにお入りになるのですが、そのようなところは滅多にありませんでした。ですからデイケアに通っていらっしゃる方の多くも、学齢を迎えても学校にいらっしゃらず、引� ��続きデイケアにおいでになっていました。それでデイケアにはいつもたくさんの方が待機していらっしゃいました。そういう時代でした。お子さんが35歳から40歳、ないしはそれ以上になっていらっしゃる方々には、その頃の実感がおありだと思いますが、そうでない方にはおわかりになりにくいと思います。全員就学が可能になる前のことです。
大学病院は、治療はもちろんとても大事な使命ですが、学生を教育する、あるいは若い医者を訓練するという使命も持っています。そしてもう一つ研究という使命があります。ここが他の病院と違うところです。大学病院では、診療と教育と研究の3本柱のどれもゆるがせにはできません。ですから、デイケアにも、診療・治療と、そこに集まって来る若い医師を訓練するという使命と、そこで行なっていることの意義がどれくらいあるかということを検証する使命がありました。現在日本の各地に国立大学付属の養護学校がありますが、付属養護学校もそれに似た使命を持っています。本当に自分たちのしている教育が優れているかどうかを検証するという使命です。そういう研究的な側面として、自分たちの取り組みが本当に意義があ るかどうかを検証するために、当時の東京大学のデイケアでは、ダウン症の人と自閉症の人しかお受けしませんでした。両者がどのように違うのか、従ってどのように異なる治療教育を実践しなければならないのいうことを考えるためでした。
「情緒障害」
当時はまだ、自閉症は、親の誤った育児による心因反応、あるいは情緒障害であるという考えが世界中至るところにかなり根強くありました。日本にも本気でそのように考えている専門家がたくさんいたと思います。 60年代から70年代の初めまで、遅い人は70年代いっぱいそう思っていたのではないでしょうか。
聡明そうな表情をしている子どもが、呼びかけても視線を合わせない。振り返りもしない。親からはぐれて迷子になっても不安そうな顔もしない。毎日一生懸命育児をしている親に対して愛着行動が形成されない。
親の拒否的な態度―冷たい「冷蔵庫のような心」をもった親の養育によって、子どもは、本来最初に信頼感を抱くべき母親に対して心を閉ざしてしまう。それがすべての始まりである。心理学者や精神分析の領域の専門家たちはそう考えていました。
自閉症の子どもはとても美しい表情をして生まれて来る。首がすわり、寝返りをうち、はいはいをし、お座りをし、伝い歩きをし、独立歩行をする。運動発達は極めて順調である。あるい は普通の子ど もより早いこともある。言葉の発達は遅くても、一方で、道順を正確に覚えるとか、文字の記憶がよいとか、機械の操作は教えもしないのに覚えてしまうといった高い能力に思えるものをたくさん持っている。そういう子どもが、こんなはずはない。そういう考えが世界中でありました。なぜかというと、それまで自閉症の子どもに会って来なかったからです。
絶対受容
それで、治療教育者の多くは、拒否や攻撃をされたのだから、その裏返しの受容をすればよいと考えました。代表的な専門家は、シカゴ大学の教育心理学者ブルーノ =ベッテルハイムです。
彼は子どもを親から切り離し、施設に預かりました。チャイルドケアワーカーは、彼独特の方法で訓練を受け、子どもたちを「絶対受容」しました。よほどのことがない限り指示や命令はしない。子どもの要求を可能な限り受け容れる。そういう発想のいわば心理療法です。
そこまで徹底しないまでも、受容的プレイセラピーというものが世界中で広まっていました。脳性麻痺や知的障害の子どもに、目や耳の不自由な子どもに、受容という言葉を敢えて使うでしょうか。親が子どもを育てる時にそんな言葉を使うでしょうか。子どもを受容することは、治療者や教育者には当然のことですから、敢えて強調することはありません。自閉症の子どもにだけ、受容という言葉を使うのは、自閉症の原因が親の拒否や攻撃によるという誤解から始まっているのです。今も一部には生きているようですが、多くの人は敢えて使いません。それは反省のもとに立っているのです。
ベッテルハイムの「自閉症・うつろな砦」(みすず書房)は絶版になりました。基本的には親の間違った育児によるという姿勢が貫かれているからです。それはあるご家族の非常に強い抗議によるものだそうです。出版社の方は絶版ということにはずいぶん抵抗されたと聞きました。最終的にこういう時代もあったという証としての意義があるのではないかという出版社の意向がありましたが、結果としては絶版になりました。
行動療法
デイケアのスタッフは、東大に呼び集められる前に、それぞれいろいろなところで仕事をしていました。多くは、当時「受容的」心理治療でそれぞれの場で最善を尽くした人たちです。それぞれ熱心にその時代最善の策と思われることに取り組んでいたのですが、自分たちが納得できるような成果があげられない苛立ちと悲しみを持っていました。
世界でもそういった心理療法はだんだんなくなって来ていました。例えば精神分析治療の世界的なメッカであるアメリカのメニンガークリニックでも、世界のトップレベルの精神分析治療で最善の努力をしました。けれども 10年ほどの試みで、自分たちの方法は自閉症の子どもたちには有効ではない、という声明を出したのです。メニンガークリニックの人たちは非常にすぐれたセンスを持っていると思います。メニンガークリニックではその結果、治療方針を変えるか、自閉症部門を閉じるか、どちらかの選択を迫られ、内部で議論した結果、自閉症部門を閉じることにしました。彼らはいさぎよく撤退するのです。その宣言は私には潔く快く響きました。ある意味で、良心的な態度だと思います。
それに入れ替わるようにして、行動療法というものが出てきました。人間の文化的な行動は学習によって身につけるものだという考え方があります。ですから、人がどのようにそれぞれの文化を身につけて来たかということを細かく分析して、私たちが期待するようなものを少しずつ丹念に学習して行ってもらえば、自閉症を治すとまでは言わなくても、好ましい状態に援助することができる。こういう発想です。
行動療法には一部、好ましいことをした時にはご褒美をあげ、好ましくないことをした時には罰するという方法があります。それは、人は基本的にはそのようにして文化を身につけて来たという考え方に立っています。親の喜ぶことをした時には褒められたし、好ましくないことをしてしまった時には叱られた。それを応用しようという考え方です。
その後、一部の行動療法家たちは、好ましくないことをした時に罰することはせず、好ましいことをした時だけ激励するという方法を採用するようになりました。彼らは故意に間違ったことをしてしまうのではない。どうしてもそうなってしまうのに、それを罰するのはいかがなものかという考え方です。罰は与えず、ご褒美だけ与えるという方法で、好ましい行動をたくさん学習してもらおうとしたのです。みんな一生懸命に行動療法を勉強し、実践していました。
ブリティッシュ・コロンビア大学時代(1970〜71)
私は発達障害の人と一緒にいようと思っていました。当時は日本には児童精神科は本格的にはありませんでした。(今でも、あるようで実はありません。)日本の児童精神科医はみんな独学です。私も多少の独学をしましたが、本格的なトレーニングを受けたいと思いました。そしてどこに留学すればよいか、いろいろ聞いてみてもなかなかわかりません。先輩がいないのです。海外で勉強をして来たという人もいません。
どういう大学で、子どもの精神科に留学生を募集しているか。主にどういう方面のトレーニングをしているか。アメリカの雑誌を中心に、自分なりに調べました。" Journal of American Medical Association "(アメリカ医師会雑誌)という雑誌の巻末に、いつも案内広告が出ていました。どこの大学や病院でどういう訓練生や留学生を求めているか。待遇も出ていました。
それを見ておりまして、一つにはカナダのブリティッシュコロンビア大学がいいと思いました。なぜかというと、ここは世界一コミュニティケアが優れていると書いてあったからです。子どもはクリニックの中だけでは育てられない。慢性の問題を持った子どもたちは、コミュニティをあげていろいろな人の力の中で育てる。こういうことが、バンクーバを中心とした地域でモデルとしてなされているということです。それに魅力を感じました。
もう一つはニューヨークの、スラムとそうでない居住地の中間にある病院でした。両方の地域にサービスを供給し、大変成果をあげている。大学の医学部と連携していて、若い医者のとてもいい訓練ができる。こう書かれていたので魅力を感じました。
そのための留学生試験がありました。その試験にパスすれば、アメリカ、カナダ、ニュージーランド、オーストラリアの 4ヶ国で、スーパーバイザーがいれば外国人でも医療行為が許されます。自ら医療行為をしながら勉強することができるのです。仲間と試験勉強をしました。幸い合格して、アプリケーションを出しましたら。希望した両方の病院から採用してもよいという通知が来ました。だたし、ニューヨークの病院の方は、アメリカでインターンをしていない人は採用できないということでした。私は大学卒業自体が皆さんより6年も遅れています。その後3年ほど訓練を受けていますから、またインターンからというのはちょっとと思いました。そんな単純な理由からブリティッシュコロンビア大学の方を選んだのです。
私はブリティッシュコロンビア大学病院のレジデントとなりました。実際はアパートに住んでいましたが、レジデントの本来の意味は住み込み医という意味です。一般の医師が専門医になるために病院に住み込んで訓練を受けるということです。
私の指導教官のアンドリュー=マクターゲット教授(現在チェルノブイリの放射線事故後の子どものPTSDのケアのためWHOから派遣された医師団の責任者として活躍していらっしゃいます。)は、若い時に、ボルチモアのジョーンズホプキンス大学で、レジデントとして訓練を受けられました。その時の指導教官が、自閉症を最初に報告したレオ=カナーだったのです。レオ=カナーに直接指導を受けたマクターゲット教授が私の指導教官だということに、私はある運命を感じました。
レオ =カナー
レオ =カナーは自閉症で有名ですが、専門は児童精神医学全般です。世界の児童精神医学のパイオニアで、"Child Psychiatry"(児童精神医学)という分厚いバイブルのような著書があります。私もいろいろ教えられました。
!doctype>